Results matching “Summaron f=3” from 新地のドゥルーズ
当地はいい天気が続く。とはいっても外はPM2.5に被爆した風景だ。定点観測でもこの通り。
(NEX-7/Summaron F=3,5cm 1:3,5/SILKYPIX)
退院して1週間が経過した。気分はいまだに「インザブルペン」というところだ。といっても、出番に備えて肩慣らしするわけでもない。ただブルペンの椅子を暖めてるだけのピッチャー・・そんなふうだ。(笑)。今回の「病歴」は僕になにか不可逆的な「変節」をもたらしたように思える。経験について語ろうとしない。そのことについて直接に表象したくないという「技芸」が居座っている。なるほど表象しないことは「技芸」のひとつには違いない。病院に入るに際してフーコーを携えた。読書はもっぱらフーコーだが、談話室にあった文藝春秋創刊90周年記念号を丹念に読んだ。術後の身体はあきらかに変化した。まさかそのせいでもあるまいが、どこか「知覚」とか「認識」とかに「変節」が到来している。事物が遠い。遠いのだ。離れている。『悦ばしい知識』でニーチェが示した憎悪・離反=認識、とでもいうかそんな気分なのだ。
さて。文藝春秋「キャパの十字架」で彼の使用カメラがライカⅢaだったことを知る。標準レンズ一本だったらしい。Summitar 5cmか? ミメーシス欲望で僕も旅に出れるようになったら、Ⅲfに赤エルマーなんかをつけて出てみるか、と漠然と思う。けれど実現するかと問うてみればなんだかぜんぜん自信がない。そんなものか? 「変節」に身をまかせるしかすべがない。「出来事」はこのように出来する。それでもようやく外で何か食べてみようかという気分になったので、以前から気になっていた鮨店に行く。最初に出たのはこれだった。これをパチリとやったらもうシャシンする気力が沮喪した。あとはうまい鮨を黙って食した。
(NEX-7/E16mm F2.8 SEL16F28/Photoshop CS)
(1600*1067の拡大画像あり)
(NEX-7/Summaron f=3,5cm 1:3.5 /F11 SILKYPIX)
サービスステーションに予約持ち込み。
約1時間後には仕上がりの連絡が入った。
ご覧のようにゴミはとれた。
と、思った。
しかし完全に除去できなかったそうだ。
よって、東京に送りましょうか、ということに。
あいにく僕はボディ・キャップをもってきてなかった。
いったん持ち帰ることになったわけだ。
だけどこれだったら問題ない。
絞りはF11まで使えればいい。
購入1年以内ならば無償です。
さて。のっぺりとした空は「黄砂」です。
朝から喉が痛い。黄砂に含まれる「亜硫酸」の被害。
これも当事者にしか知覚できません。
「認識」はこの場合単純に身体の「知覚」です。
したがって「差異」に溢れています。
空港スタバをめざすが、途中で意気阻喪。
戦意喪失。衝動=情動は七色変化なのだ。
家でカフェオレをタンブラーに入れて、
ウチスタバとなりさがる。これは泣ける。
(NEX-7/Summaron F=3,5cm 1:3,5/PhotoshopCS5.5)
↑↑
F11=ISO160=1/60sec です。
昨夕の設定のまま撮ったのでF11なんです。
昨夕17時20分ころの夕間暮れの絵はこれです。
横1800の拡大をみると、ライカレンズらしさが
識別できます。こちらはISO1600です。
SILKYPIX=モノクロ2の現像です。
風が強くアシ(ヨシ?)がなびいてました。
まだマクドナルドのMにあかりはともってない。
今年になってNEX-7になった。
今日もズマロンをつけて出る。
まずは好みのクッキーを買う。
その後スタバへ迂回。(拡大写真はモノクロ)
(NEX-7/Summaron F=3,5cm 1:3,5/SILKYPIX)
会員カードとタンブラーを入手。
(EOS5D/ELMAR 1:3.5/65/SILKYPIX)
「スモールワールドタンブラーバードブルー」という。
長ったらしいネーミングだ。
スタバの商品がどうもわかりにくい。
たとえばフツーにカフェオレ飲みたいとき
カフェミストなのかカフェラテなのか・・
子供に訊いてようやく飲み込めた。
バリエーションが複雑すぎる。違います?
ジジは気後れするぜよ。
ともかくあれこれありますが、
ぼくはバッグにこっそりしのばせた先の
「とるーす」製のクッキーを店内で食す。
さて読書、とバッグの中を探すが、ない。
忘れてきてる。あーあ。
警固神社前からバスで赤坂3丁目下車。
(歩くチカラがなかった)
信号渡って護国神社前のハス池に
カメが群れをなして甲羅干し。エグイですね。
(拡大すれば中央にみえます)
(NEX-7/Summaron F=3,5cm 1:3,5/SILKYPIX)
さて、本題。
「古代エジプト展」は思っていたほど混雑もなく、
じっくり・のんびり、観察(!)できました。
今もパピルスのヒエログリフの残像がある。(笑)
「動物の風刺パピルス」に獅子とガゼル(かな?)が
ゲームをやってる。そのゲーム盤もあった。
なぜか「正倉院展」の聖武天皇の双六盤を思い出した。
いつの時代にも気晴らしが必要なんです。うむ。
ネックレスのガラス玉でも
「正倉院展」のとんぼ玉を想起した。
奈良も古いが、こっちは紀元前15世紀だもんねえ。
ニンゲンの為すアーカイブは深遠ですなあ。
ところで、フランシス・ベイコン。
「自画像の習作」。85.3×63.5のリトグラフ。
いやはや、あるところにはあるんです。
こんなに身近な常設展に。
横浜以来の驚きでした。
ベイコンに触れると身がすくむ思いがする。
理由を考えたことはないが、僕に由来する
トータルの情動なのだろう。
「画家の自画像展」の作品リストです。
表紙は中村彝です。
(注:PDFは美術館サイトからD/Lしたものです)
(NEX-7/Summaron f=3,5cm 1:3,5/SILKYPIX/ at Kobe)
正倉院展(奈良国立博物館)
興福寺国宝館展
エル・グレコ展(国立国際美術館)
北斎展(大阪市立美術館)
大エミルタージュ美術館展(京都市美術館)
ザ・大阪ベストアート展(旧出光美術館大阪)
マウリッツハイス美術館展(神戸市立博物館)
奈良・大阪・京都・神戸、と歩く。
何度言ってもいいが、人には旅に出る必然性はない。
まったく、ない。
しかも人は旅に出る。
そうすることで定住地を後にする。
シニフィアンとか記号とか象徴とかいうものなのか、
人の精神と身体に帯電するのは。人はそれを放出しなければ
おさまらないようなのだ。よって動くのだ。
磁場は鎮まるかのような偽装をとる。
その節は、人は水面から顔をだした時のような
新しい空気を吸う。しばし平面を歩く。
やがてふたたび襞が生じ波動があらわれる。
差異と反復が人の現働なのであり生の技芸なのです。